県立大学で哲学科の講師 エピソード1
私は、算命学と九星気学の鑑定士としての肩書きとは別に、
県立大学で哲学科の非常勤講師を兼務しております。
一体どんなことをやっているんだろう??と思う方がいらしたので、
初めてエピソードを交えてご紹介したいと思います。
今年、2019年4月末の授業です。
新年号の令和を前に、学生たちと年号に関してや時代の推移など、授業の一環として話をしました。
その中で、「令和の時代は、命令という意味もあり、冷たくもあり、時に冷静になる必要がある・・・(略)」
というような話をました。それを受けて学生たちから一部反応がありました。
(毎回、学生たちからは、意見や感想を授業の最後に提出してもらっています。)
その感想の一部です。
「今の社会現象を見ると、冷静さを欠いた世情を感じるので肯定的に感じた」
「規律は必要。規律を守らない既得権者が目立つ」
という意見の一方で、
「明るい時代を捉えていたが、なんだか冷たいイメージとしか見えなくなった・・・」
「カッコイイ年号だと、気に入っていたのだが・・・」
人の言葉は、100%ではなく、思考にもずれがあるのは致し方ないこととは理解しながらも、
学生たちのせっかくの楽しい10連休GWの手前で、もやもやした雰囲気を持って過ごさせてはいけない!と思い、
補足の内容を学生たちにラインで送りました。
その内容をご紹介したいと思います。
以下、クラスのまとめ役のK君とのやり取りです。
*****
「K君には、いつも盛り上げ役として、存在感を示してもらい感謝しています。
前回の感想を読ませていただきました。 ありがとう。
それを受け返信いたします。
もし、グループLINEがあれば、流していただければ幸いです。」
「 ありがとうございます 」
「前回の授業で、
令和の時代は、命令、冷たい時代と、端的なメタメッセージを私の発信から感じた方がいらしたようです。
悲観的な形で伝わってしまったのは、 私の至らなさです。
この点を補足したいと思っております。
若干長文になります 注意 」
「 わかりました 」
「平成は平和で素晴らしい時代でした。
つらさを意識することなく過ごせた時代でした。
そして、令和に。
もちろん年号がすべてではありません。
時代は、諸外国、社会情勢も加味され形作られます。
令和と言うのは、確かに命令と言う意味があります。
(中国では、凛とした、美しいと言う意味もあるようです。)
しかし、その令とどう向き合うか、ということが今回の哲学の授業の目的の一つでもあります。
自分のアイデンティティー、イデオロギーと言うものを考える授業です
自分の考えを持つということです。
令という文字は冷静に物事を考える、令の意味でもあります。
私は2013年に東京の下町、千駄木駅近くの古民家「谷中の家」で開催された戦争体験者の話を聞く「語りつぐ会」に参加したことがあります。
空襲のあった同じ日、3月4日あたりだったと思います。
その戦争体験者の高齢の方たちが、戦争を知らない我々にお話をしてくれました。
様々な世代の人が狭い古民家を改装した1階広間で話を聞きました。
老若男女5 、60人くらいでしょうか。 立ち見もいました。
小さい子は小学校の低学年位、もちろん年配の方もいらしてました。
戦争体験者の話の中で、
戦争は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と見てきたら、漠然と戦争とは他所の国でやるものだと感じていたそうです。
ところが、第二次世界大戦は対岸の火事では済まされませんでした。
直接、自分たちが被害に遭うという事は考えてもいなかったようです。
新聞も言動も何もかもが統制され箝口令が引かれ、声も挙げられず、当然、声を挙げても治安維持法により逮捕されたのです。
『戦争とは、ある日突然始まるもので、そうだと気づいたときには、二度と後戻りができないものだった。 後になってから気づいた。』と、、、
『友人と歩いていると、上空にいた小型爆撃機が私たちに気づかれないようにエンジンを止めて、低空まで滑空し爆弾を落としていったそうです。その時、隣にいたはずの友人が、、、』
言葉にするのも憚ります。
そのつらい、過去の傷をまた思い出しながら途切れ途切れに語ってくれている先達の姿を前に、 私は、絶望の空虚感で身体の感覚はもうありませんでした。
そこにいた小学生の男の子は無言でただボロボロと大つぶの涙を落とていました。
だから、考えなくてはいけない。
私は、令和の令は、その時の戒めとして咀嚼しています。
皆さんが、ただかっこいい言葉!と言うだけで捉えてしまってほしくないと言う思いがあります。
令は冷静の令でもあります。
一人一人が感情に流されず、自分のオリジナルの言葉と強い思いを持って、冷静に判断してほしい。
同じ間違いをしたら、そのつらさを思い出してくれた先達や先人に申し訳が立たないと感じてしまうからです。
そして、僕も同じ時代を皆さんと一緒に生きていきます。
決して悲観的なものではなく、みんなが冷静に考えなくてはいけない時代になったのだ、と伝えたいのです。
長くなりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
これは、また次回、私の言葉で皆さんに伝えたいと思います。
皆さんの考えがあったら、 それもまた次回までとっておいて欲しいです。
短い間ですが、皆さんとお話ができることを毎回心から楽しみにしています。 」
「ありがとうございます!
今回、自分も先生の話を聞いた時に、
冷たい時代になってしまうのかと考えてしまいました。
しかし、これからを作って行けるのは、自分達という風にも仰っていたのも覚えています。
なので、これから先の時代を作って行くの自分達は、責任をもって努力していきたいと思います。
また、同じクラスの人達も、先生の話を聞きためになったと言っている人も多いので、
これからも、先生の色々な話を聞かせていただきたいなと思っています。」
「忙しい中、早速の返信ありがとう。
楽しいGWを過ごして下さい。
次回また、元気なKくんに会えるの楽しみにしています! 」
「自分も楽しみにしてます。」
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というようなやり取りがありました。
学生たちは、これからの日本の未来であり、日本の宝です。
彼らに接することで、自分が学んだことを次代に伝えられることは、
喜びでもあり、先人たちへの感謝なのかと思うと、生かされる意味を感じます。
みなさま、長文を読んで下さりありがとうございましたw。
伽鳳でした。
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