宮澤賢治 生誕120年
岩手県花巻を訪ねました。
花巻に訪れると、いつも穏やかな気持ちになるのは不思議です。
町を歩くと子供たちから、“こんにちは!”“ありがとうございますっ!”と
ごく自然の言葉を掛けられます。
挨拶一つで、こんなに人は優しい気持ちれるんだ、と改めて実感します。
そこに“賢治さん”の思いが存在しているからなのか、県民性なのかはわかりません。
時に、ジブリの高畑勲監督や、宮崎駿監督も、賢治さんから多大な影響を受け作品に転化されたといいます。
その理由は、「普遍的なメッセージはどう時代が変わろうとも、人間を取り巻く自然環境は変わることがないから」といえるのでしょう。
賢治さんの生まれた時代は、学べる環境もままなりませんでしたが、
その中で、仏教、自然科学、農学、地質学、天文学、文学、西洋音楽、西洋劇・・・と、
幅広く学ばれました。
さらに、花巻という環境、そこに住まう賢治の五感は、動物や虫、自然の放つエネルギーにより育てられたのでしょう。
現代の発想は、科学的に証明されないものは存在しない、というものですが、
科学の始まりは、もともと仮説や感性から始まっています。
ノーベル賞を受賞した、東京大学名誉教授 小柴昌俊氏が、重力などに影響されないニュートリノの観測に成功しましたが、ユニークなのは、そのニュートリノというものは透過性が高く人の気持ちも媒介するのではないかという仮説です。
ドラマで、木村拓哉主演の日曜劇場『安藤ロイド』(東日本大震災後の放映)中で、“人の思いは時空を超える”というフレーズがありました。
算命学では、肉体を時間とし、空間を精神とします。肉体がなければ精神は自由自在に飛び回りサイエンスフィクション(SF)は肯定されるのです。
震災直後に、ニュートリノが多く発見されたといいます。
“見えないはずの人の思い”が、科学的に証明された瞬間だったのかもしれません。
それを賢治さんは、科学的に証明されない時代で感じていたのかもしれません。
そして、賢治さんのニュートリノが、今のこの時代にも多くの人にも降り注いでいるのでしょう。
自然と調和し、耳を澄ましてみます。
動物にも嬉しい時、悲しい時があります。
自然も同様に、川も、森も、嬉しくて悲しい時がある。
そんな感性を持ってみると、現代病でもある“競争社会の行き詰まり”や“心の寂しさ”を埋められるのかもしれません。
モノで、心の隙間を埋めることは難しいようです。
賢治さんを感じられる時代に生きて、感性を共有できることに幸せを感じます。
帰宅し、しばし物思いにふけっているとわが同士が、こちらをじーっと見つめていました。
『なんだか、ずいぶんご機嫌なようだね~』
そう聞こえたのは、ぼくの透過性の感度によるものかもしれません。
*
宮澤賢治さん
1896年8月1日生まれ
丙 乙 丙
戌 未 申
午未天中殺
02丙申 初旬律音
12丁酉
22戊戌
32己亥 ↓
42庚子 ↓
52辛丑
丙火の夏生まれは温かい人柄です。ですから、人情のある作品が多いのです。
大運天中殺の初旬条件を持っております。大運は、3旬4旬に駆け上がります。
(もし、この初旬条件に大半会や、納音、天剋地冲、干合支合が重なると現象は倍加し、
さらに、5旬6旬にずり下がります)
そして、4旬目の大運天中殺が終わる5年前から陰転に入るのです。
ここまでが人生のピークとなります。
実際の生年月日(1896年8月27日)も公表されておりますが、運命的にみれば戸籍の生年月日が妥当です。
人の人生は、紙の上では語りきれません。
環境や生き方が人を育て、人生の意味付けは自分が決めるのです。
伽鳳
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