何のために生まれてきたのか

テレビを見ていた。
戦地にいる若い兵士たちの写真が映っていた。
そこに、
「友人や親きょうだいに、いま一度会いたい」
という言葉があった。
当たり前だと思う。
この人たちは、戦争で死ぬために生まれてきたのだろうか。
親は、いつか国家のために命を差し出させるために、この子を産んだのだろうか。
そんなはずはない。
一人ひとりに親がいて、兄弟がいて、友人がいて、好きな人がいて、食べたいものがあって、行きたい場所があったはずだ。
それが「兵士」という一つの言葉にまとめられ、やがて戦争の駒になっていく。
人間は、誰かの駒になるために生まれたわけではない。
考えてみれば、これは戦争だけの話なのだろうか。
虫だって、鳥に食べられるために生まれたわけではない。
小さな魚も、大きな魚に食べられるために生まれたわけではない。
それぞれが、ただ自分の命を生きようとしている。
しかし、結果として自然界には食うものと食われるものが生まれる。
人間の社会も、どこか似ている。
私たちは自分の時間を労働に変え、金を得る。
その金を使って、今度は誰かが働いて作ったものを買う。
もっと安く。
もっと便利に。
もっとたくさん。
私たちが安い商品を手に取るとき、その向こう側に誰がいるのかを見ることはほとんどない。
遠い国で働いている人かもしれない。
低い賃金で長時間働いている人かもしれない。
もちろん、すべての商売や消費が搾取だと言いたいわけではない。
働くことで生活が豊かになる人もいるし、国と国との交易によって双方が豊かになることもある。
それでも、
自分の豊かさが、見えない誰かの負担の上に成立していないか。
これは考えておかなければならないと思う。
戦争では、それがもっと露骨になる。
国家が勝つために、人間の命が必要になる。
一人の人間が「戦力」という数字に変わる。
そして戦争が終われば、何万人が死んだ、何十万人が死んだ、と数字で語られる。
けれど、本当は一人ずつだった。
「もう一度、親に会いたい」
「友人に会いたい」
そう思っていた一人の人間が、何万人いたということだ。
数字になると、私たちはそれを忘れる。
資本主義の社会では、命ではなく、まず時間が数字になる。
時給いくら。
月給いくら。
年収いくら。
自分の人生の一時間に値段がつく。
そして、より多くの金を持つ者は、より多くの人の時間を買うことができる。
そうして人間社会にも、いつの間にか巨大なピラミッドのようなものができる。
金を持つ者。
権力を持つ者。
国家を動かす者。
企業を動かす者。
その下で働く人々。
そして、その構造は国境を越えている。
豊かな国の生活が、より貧しい国の安い労働力によって支えられることもある。
だとしたら、私たちは知らないうちに、この巨大な構造の一部になっている。
上から奪われながら、同時に自分より下にいる誰かから何かを受け取っている。
完全な被害者でもなければ、完全な加害者でもない。
そこが恐ろしい。
では、人間はこのピラミッドの上に登れば幸せなのだろうか。
金をたくさん持つ。
人よりいい家に住む。
いい車に乗る。
人を使う側になる。
確かに、それによって自由になる部分はある。
だから私は、金そのものを否定するつもりはない。
問題は、その先だ。
どれだけ金を持っても、人間は死ぬ。
どれだけ権力を持っても死ぬ。
他人の一時間を金で買うことはできても、自分の人生を永遠に延長することはできない。
そう考えると、猛烈な虚しさが残る。
人を押しのけて上へ行き、ようやく頂上に着いたところで、自分にも終わりが来る。
では、何のために上へ行ったのだろう。
もしかすると、本当の人間の高さは別のところにあるのではないか。
力を持たないことではない。
金を持たないことでもない。
むしろ、
力を持ったときに、その力をどう使ったか。
そこに人間の高さが現れるのではないだろうか。
自分より弱い人間を踏みつけることもできる。
自分だけが得をすることもできる。
けれど、その力を誰かを生かすために使うこともできる。
金持ちになることより、
心を持った金持ちになること。
権力を持つことより、
他人にも自分と同じ一度きりの人生があると想像できる人間になること。
その方が、ずっと難しい。
人は必ず死ぬ。
早いか遅いかの違いしかない。
だからこそ、生きている間に誰かの奴隷になるために生まれたわけではない。
同時に、自分が誰かを奴隷にするために生まれたわけでもない。
国家のためでもない。
会社のためでもない。
金のためでもない。
誰かの期待を満たすためでもない。
人は、自分の人生を生きるために生まれてきた。
そして、自分の人生を生きるということは、好き勝手に他人を踏みつけることでもない。
自分の人生を自分で引き受けながら、目の前にいる人間にも、その人だけの人生があることを忘れないこと。
戦争で死んでいった若者の写真を見ながら、そんなことを考えていた。
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