戦後70年目の生きる を考える
知人が谷中に住んでいるということもあり、ご縁で
先日3月4日、谷中の戦争を語り継ぐ会 に出席致しました。
時代の証言を聞かなくてはならない。これは我々の使命です。
胸を痛めているだけではいけない。
とにかく聞いて学んで、自分たちの次世代に伝える支度をしなくてはならない!
時間がないのです!
今年は戦後70年目です。
戦争が終わって70年ですから、生きた証言は現在の70歳以上でないと語れないのです。
会場は小さなハコでしたが、座るのがやっとという満員状態。
50名ほどの方が参加し、中には小学生が何人かおりました。
男の子が涙を拭きながら聞いていたのが印象的でした。
ご出席された戦争体験者の方から様々なお話を伺いました。
当然心の傷も負っています。
『実は私は40年間、当時の事を口に出せませんでした。』というのです。
『私は70数年前の爆撃の時に死んでいたかもしれない亡霊です。隣にいた友人は死にました。
自分は生き延びたけれど、食べるものがなく、草も食べた。
中には食べれないで餓死するものもいた。上野のドヤ街は、戦争孤児で溢れかえり、怖くて歩けなかった。戦争孤児狩りなんてものもあった。
今でも上野駅のガード下を歩くと、当時の記憶が、匂いの記憶までも、どこからともなく溢れてくる。』
私は戦争に関して机の上で勉強をしていたのですが、お話を聞いていて、理解なんてまったくできないことを思い知らされました。
そして、本や映像だけでは学べない、体験のお話を聞かなきゃわからないと思いました。
ただ、言葉を失う時間でした。
2時間半くらい6名の体験者の方や同年齢ほどの参加された方が、記憶をたどり、思い出しながらお話してくれました。
太平洋戦争が 『いたしかたなかった・・・』 など、肯定的な意見は、間違っても出てはいけない。
歴史を知り、過去の“あってはならない過ち”を知ることで、未来永劫絶対に起こさないことなのだと。
知人の中学校教諭が、こんな話をしておりました。
『僕は将来飛行機乗りになりたい――と、ある時生徒から言われたことがある。なんと返したら良いのか、本当に迷った』
どんな思いでその子供が夢を語っていたのか…。時代の問題もありましょう。
TVなどメディアから流れるものが、悲しい歴史を棚上げにして、
単に“カッコいい”に成り変っていたとすれば……なにか危うい気がしてなりません。
これから、教師たちがどのように、戦争というものを子供たちに伝えていくのか、は非常に重要な問題です。
もちろん教師ばかりでなく、私たち大人が、過去の歴史を理解して、
生きた証言たちを次世代に伝えなければ、
先人たちが必死に繋いでくれた継承が絶たれてしまいます。
つらいけど若者たちが、目をそらさず、ありのままの戦争を直視し、考え、しっかり胸に刻むことが、先人が残した財産を生かし続けることになります。
人の物欲の満足は、満たされたらすぐに消え去ります。そしてまた別の物欲の炎が沸き立つ。物欲は尽きないのです。
一方、心の満足は生涯消えることがなく、満足感が永遠に続くのです。
戦争を伝承することは、いまを生きるみんなの責務です。
先人たちは、我々の“いま”を作ってくれました。我々の未来を守ってくれました。語り継ぐということが先人へのせめてもの礼儀であるべきです。
戦争は美化してはいけない。
人は、誰も一人では生きていられないから。
伽鳳
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